映画あれこれ #5 イン・アメリカ-三つの小さな願いごと (2003年アイルランド/イギリス)

(コスモス村代表の山下が日本スクールソーシャルワーク協会の会報に、”エイブの映画あれこれ”というコラムを2013年~2017年まで執筆し、同氏のお気に入りの映画について雑感を記しているのですが、このコラムの記事を本ブログの読者の方たちと共有したく、同協会に了承を得て順次転載させていただくこととしました。)
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 親は子どもを一方的に育てるものだという思いを抱いている大人が世の中には多いようである。だけど、実際は親が子どもから育てられたり支えられたりする面がある。今回取り上げた「イン・アメリカ」では、そんな角度から家族の関係が描かれている。
 この映画は仕事を求めてアイルランドからニューヨークに移住してきた若い夫婦と10歳の娘クリスティと妹のアリエル(5歳)の家族の物語である。監督のジム・ジェリダンの実体験にもとづいており、脚本はシェリダン監督の実の娘である姉妹が担当している。
 夫婦は1年前に2歳になったばかりのフランキーという男の子を事故で失い、精神的に大きな痛手を受け立ち直ることができずにいた。父親も、母親も自らを責め苛み、なかなか新たな生活にしっかりと足を踏み出すことができないでいる。姉のクリスティは自分自身がフランキーの死を深く悼んでいるのにもかかわらず、そんな両親を支え続けてきた。
 父親はブロードウェイの役者志望であるが、オーディションを受けても落ち続けるばかりで、なかなかいい結果をえることができず、経済面でも最悪な状態の中で過ごすことを強いられる。母親は、家計を支えるためにハンバーガーショップで働くものの、稼ぎは十分ではない。薬物中毒者などがたむろするおんぼろアパートでの先の見えない暮らしに打ちのめされそうな両親を尻目に、姉妹はそうした環境に馴染んでいき、アパートの住人や街の人びとと交流を重ねて行く。そうした過程で、エイズに罹患した階下の住人マティオと出会う。時々奇声を発するマティオを、父親は最初は拒絶するが、やがて家族のそれぞれが彼との間に絆を結び、彼は家族に生きる意味や希望を与える存在となった。
 マティオは結局病院で亡くなるのだが、アリエルはマティオに直接「さようなら」を言えなかったことを嘆く。そこで父親とクリスティは一計を案じて、アリエルが「さようなら」を言えるように仕組む。そのおかげでアリエルはマティオに別れを告げることができた。そして、そのあとクリスティは父親の方に向か合い「ダディ、フランキーにもさようならを言って」と告げる。過去のトラウマを、いつまでも引きずりながら生きるのではなく、娘は現実に向かい合うことを促した。ここは映画のクライマックス場面で、涙腺を刺激されるところだ。
 父親は、クリスティの言葉によって背負い続けてきた心の重荷をやっと下ろすことができ、フランキーの死を境に禁じていた涙を初めて流す。そして、母親もまたクリスティに促されて、父親と共に愛する息子に別れを告げる。
 貧しさと格闘しつつもお互いへの愛が溢れた家族の物語であり、ややもすると予定調和的な筋運びになる怖れもある。だが、その辺は巧みな編集によってありきたりの作品になることを回避している。何よりも、実際の姉妹である二人の子役が生き生きと演じ、映画にリアリティをもたらしている。僕は、特にクリスティが学校の催しで切々と歌う「デスパラード」の場面がお気に入りだ。疲れて心がカサついているときに観ると、きっと心の中に温もりや優しさを呼び戻してくれる、そんな類の映画だ。