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このまま日本型の(スクール)ソーシャルワークが定着していくとしたら…

以下、代表 山下のフェイスブックよりメッセージをご紹介します。

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もともとソーシャルディスタンスをたっぷり取れて、三密も無縁な暮らしをしているのだが、このところの外出自粛要請の圧力はこんなところにまで及んで来て、何だか息苦しさを覚える毎日だ。僕でさえそうなのだから、人口が多い地域で居住スペースも十分な広さがない環境で生活している人たちのストレスは如何ばかりかと思う。
人間同士の接触を断ち切りウィルスの感染拡大を防止するという医療的発想を至上とすることでいいのだろうかと僕は思い続けている。社会的な動物である人間の交流を遮断することによる弊害があり、そのことが医療を越えたトータルな生活の質を低下させている気がしてならない。特に生命のエネルギーに満ち溢れた子どもたちを狭い空間に閉じ込めておこうとするやり方は、まさに無数の三密状態を生み出しているわけだからいいはずがない。できるだけ子どもたちに外出する機会を保障するような対処法が真剣に模索されていい気がする。そのことに知恵を絞らないと、よく言われる虐待やDVの増加はもとより、もっと長期的かつ広範な影響が出てくるように思える。

 

 

そんなことを思ったりもしているが、こんな状況にあっては脳細胞の萎縮も起こりかねず、そのことは復元力が弱い高齢者にとっては大きなダメージになるので、しばらく前から気になっていた全米ソーシャルワーカー協会(NASW)の倫理綱領をボチボチと翻訳する作業にとりかかっていた。
コスモス村のソーシャルワーク研修では、日本SW協会の倫理綱領にも少し触れるのだが、文量が少なくて(A4で6Pほど)ソーシャルワーカーの行動基準とするには簡潔過ぎるため(僕の個人的意見)、活動倫理について語るよりも小言を言っていることが多かったので、比較するためにNASWの倫理綱領に触れなくてはと思っていた。ところが、NASW倫理綱領の翻訳をネット上で見つけることができなかったため、自分で訳するしかないかなと思って手をつけた次第だ。
英文で30ページ弱あるので、日本版とは違ってかなりの量だ。だから少しでも手間を省こうと考えてGoogoleとWordの翻訳機能を利用してみたのだが、どちらもほとんど役に立たず、結局はすべて自分で訳することになった。
翻訳をしていて、強く感じたことは、NASW版では直接支援を前提に綱領が定められているということである。それは当たり前といえば当たり前のことなのだが、わが国では特にスクールソーシャルワークの分野では、活動の対象者(クライエント)とは直接関わる必要がないとする考え方が、主流だか傍流だか分からないが、確実にあって、大学の教員が授業で「5回の家庭訪問より1回のケース会議」の方が重要だと教えたり、教育委員会の方針として子どもと直接関わることをさせないという話がある。これは伝聞ではなく、研修に参加された方たちから直接聞いたことであるし、コスモス村の研修以外の場でも耳にしてきたことである。そうした傾向に常々違和感を覚えてきたわけだが、NASWの倫理綱領に改めて触れて、僕の違和感の理由を確認することができた。
このまま日本型の(スクール)ソーシャルワークが定着していくとしたら、少なくとも僕にとってはソーシャルワークは平板でダイナミズムに欠ける領域になってしまう。ひいては、ソーシャルワークの魅力も色褪せさせてしまうことになる気がする。

 

 


で、倫理綱領だが、国が異なればそれぞれの国の特性があってしかるべきものの、6ページと30ページ弱では、あまりにも開きが大きすぎると僕は思う。簡潔過ぎては、大雑把すぎて行動の基準を明確に頭に浮かべることが難しいだろう。日本版倫理綱領を真に行動基準としたいのであれば、もう少し書き込んで行く必要があると僕は以前から思っている。関係者の方には、ぜひ取り組んでほしいものだ。
ちなみに、翻訳した文章は著作権の問題があるので、ネットではシェアできないことをお断りしておく。

 

 


とても長い投稿になってしまった。最後まで読んで下さった方には感謝の限りだ。

だいぶん暖かくなってきたなと思っていたが、今朝は薄らと雪が。植物たちも萎れてしまい、生命の営みを続けるのに苦労しているように思える。