· 

ある中学校での実践

昨日はある地域の中学校で全校生徒と、保護者&教師も交えてRJサークルを実施した。当該地域のスクールソーシャルワーカー8人が駆けつけてキーパー(ファシリテーター)を務めてくれた。
この学校では、昨年度いじめ事件が発生しメディアでも大きく取り上げられた。その頃から、何とか学校と関わりが持てればいいなと思っていたが、関わるための手がかりがなかったので、遠くで胸を痛めながら静観することしかできないでいた。
今年度に入ってしばらくしてから、スクールソーシャルワーカーたちが所属している教育事務所の所長の学校への働きかけがあって、まず夏に教員に対して修復的対話の講義とRJサークルの実際を体験してもらい、今回は学年懇談会の日程に合わせて子どもたちと保護者・教師を含めたRJサークルを実施したというわけだ。
RJサークルが、この学校で起きたいじめ問題に、どれほど直接的な効果があるのかは分からない。だが、事件によって口を閉ざしたり、疑心暗鬼になっている学校コミュニティにおいて、オープンに自らの気持ちを語り、人の話に耳を傾けるという営為は、綻びが入ったいくつもの関係を再構築するきっかけにはなりうるように思う。
振り返りの時間にスクールソーシャルワーカーと校長、教頭を交えてのフィードバックがあったが、子どもたちが思いのほかしっかりと自分の気持ちを語れることに感動したとか、保護者がサークルに参加できてとてもいい機会になったとコメントしたとか、ポジティブな言葉がたくさん出た。
学校では一度きりだけではなく、今後年に何度か定期的に実施したいと考えているという話もあった。
他罰的な風潮が強い現代にあっては、いじめ問題があると学校や加害者的な子ともや家族に対するバッシングの言葉が満ちあふれる。それらの行為は、コミュニティ全体に深い傷を負わせることになる。
まずい対応があれば、それには批判がなされて当然であろうが、批判の背後には「では、どうすればいいのか?」、「私ならば、こうする」という対案があるべきだと僕は思ってきた。
修復的なアプローチは、その具体的な対案のひとつとして僕が行き着いた考え方であり、方法だ。
昨日の学校での今後の取り組みが、少しでも学校コミュニティ全体にお互いを許容する柔らかさを取り戻すきっかけの一助になればと心から願っているところだ。
*写真は、わが家にある北米大陸の先住民たちの平和と調和のシンボルたち。